通常のゲームは誰かがリターンを得ると他の誰かがコストを払う構造になっています。
人の一生もある種のゲームと同じで、短期的には誰かが勝てば誰かが負けるようになっています。
例えば一時的に経済的に裕福になる人がいる一方で同じ量だけ窮乏する人がいるのは資本主義が戦略ゲームと似ている部分があるからです。
これは資本主義に関わらず全てのゲームで共通の制約である一方、資本主義固有の特徴として、投資家の利益が企業家の利益に直結し、更に彼らの利益が長期的には新たな富を生み出すことで、社会全体に富が再分配されるエコシステムが形成されています。
ここでの富の分配とは、現金をばらまくということではなくて、物価に見合う労働対価(給料)を払ったり、質の高いサービスを多くの人に提供するなど、直接、間接的に消費者と労働者が恩恵を享受することが含まれます。
重要なのは社会全体に富を分配することがゲームのルールとして必須ではなく、投資家や企業家の意思決定に委ねられていることです。
そのため、投資と事業の意思決定に携わる者はゲームを有利に運ぶ選択肢を持っており、そうでない者は必然的に負ける構造になっています。
言い換えると短期的に社会全体で見たときに投資家と企業家のリターンは誰かがそのコストを支払っているということです。
この関係はゼロサムゲームと呼ばれる特徴で、経済という多くの参加者による生態系で生存競争の結果、勝者の裏に敗者がいて利益を得た者に対しては損をした者がいるというのは自然の摂理です。
その結果、資本主義のゲームで勝ち続ける投資家と企業家が労働者や消費者から搾取する体制になりやすく、それが格差社会の温床につながっているのです。
これを良しとするかどうかに関係なく、資本主義で成立している社会において、このゲームからの離脱は負けを意味します。
何も考えずに企業家や投資家が提供するサービスを消費する側に回り、消費をするために時間を対価として労働力を提供する関係性は有名なトマ・ピケティの『r > g』という象徴的な関係性によって、勝者と敗者の構造を明確に表現しています。
企業家は株を持っている株主を代表している取締役なので広義の意味では投資家がこのゲームを有利に運んでいると言えます。
そのため、経済という名の生存競争において、投資をしないという選択肢はゲームの敗者を意味しているのです。
↓ポチっと押して頂けるととても喜びます。
この記事を読んだ人は以下も読んでいます...

パウエル五郎

最新記事 by パウエル五郎 (全て見る)
- 【ポストコロナの世界】様々な民主化の流れが加速する - 2020年4月25日
- コロナを受け保有銘柄の入れ替えを行う - 2020年4月23日
- コロナを受けてポートフォリオ戦略を変更する! - 2020年4月22日